その日の朝、リザの体調はまだ優れなかった。彼女は朝からスープを一口飲んだだけで、相変わらずベッドに横になったままだった。私は彼女の枕元に座り、話しかけた。
「リザ、具合はどうだね?」
リザは弱々しく頷くと言った。
「随分とましになったわ。心配しないで。あなたはどう? ちゃんと休めたのかしら?」
私は言った。
「ああ、ありがとう! 私のことなら大丈夫だ、それよりも自分のことを気遣ってくれ。それと、さっきドゥエルと会ってきた。手紙に書いたとおりこの農場のこれからについて全て話してきたんだ……」
リザが尋ねた。
「それで、どうだったの?」
私は答えた。
「了解してくれたよ。彼も思うところが有ったんだろう、涙まで流して感謝してくれた」 
リザが言った。
「私、故郷に帰ったらあの子達を一生懸命育てるわ。そして子育てがすんだら、またここに戻ってこようと思っているの……。それまでは、ドゥエルに農場を任せるつもりよ。でも必ず大切にするわ。あなたから貰ったかけがえのない宝ですもの……」
私は言った。
「そうしてくれると有り難い。私も安心だ。今の私にとって、この農場を維持することは不可能だ。そうすれば手紙にも書いたとおり、文字通り全てが失せることになってしまう。リザ……、私にとって賭博とは、そういったものだったんだよ」
こうしてリザにそれまでのことを話していくうちに、私は自らの心の中に一筋の希望とも思えるものを感じるようになっていった。それは、具体的なものではなく、ほのかな、そして淡いものだったが、今までに感じたことの無い不思議な感覚だった。私は全ての物を失ったが、あの時初めて希望というものに出会えたのかもしれないのだ。
身の回りを全て召使に任せ、毎晩好みの料理を食べる。小作人たちから敬われ、美しい妻と可愛い子供たちに囲まれて、好きなときに客人を招待して宴を催す――。
私はそんな何不自由無い生活を、それまでずっと続けてきた。だが考えてみれば、希望と名の付く物に出会うことは決して無かったのだ。
私はリザに言った。
「私はもはや、ここでお前たちと一緒にまともに暮らしていくことができない人間にまで、なり下がってしまった。金が有れば有るだけ、そして金に換えることができる物があれば、それらをとことん失ってしまわないと気が済まない、そんな人間になってしまったんだ!」
「だから、お前たちと一緒にここに居れば、必ず全ての物を失い尽す。そして皆を不幸にすることだろう。だからこそリザ! 私とアーニャは失う物を持たないことにしたんだよ……」
 リザの頬を伝って、涙がこぼれ落ちた。私は話し続けた。
「これからアーニャと一緒に暮らすことを許してくれ。私にはあの女を見殺しにすることなど、到底できない……」
力なくリザが尋ねた。
「これからどうやって暮らしていくつもりなの?」
私は答えた。
「全く何も持たず、この農場に居る農夫たちのように汗を流して、一から出直すつもりだ。それ以外に、私たちに残された方法は無いのさ」
その時リザが顔色を変え、叫んだ。
「あなた、せめて自分たちが生活するだけの畑をお持ちになって! そうしないと暮らしていけなくなるわ。死んでしまったら元も子もないじゃない!」
私はリザの目を見つめた。あの時改めて感じたが、実に優しく澄んだ眼差しだった。私はそれまで彼女と一緒に暮らしてきても、全く気付かなかったのさ。あの時、私はこう思ったんだ。
 ――自分は今、リザに彼女以外の女性とここを出て行くと告げに来ているのだ。それにもかかわらず、リザは私のことを思いやりここまで心配してくれている――。そう! 気付かなかった。本当に今まで気付きはしなかったのだ。でも、今はわかるような気がする。 私は今正に目覚めようとしているのかもしれない!――と。
だが、全て遅すぎた。戻ることなどできなかったのだ……。
私はリザの目を見つめながら言った。
「リザ……。私はたった今まで気付かなかった。いや!気付いていると、思い過ごしてきたのかもしれない。でも今はよくわかるんだ。人生で一番大切なものが一体何か……」
「いつの日も一緒に暮らし続けてきたお前の優しさが、そして思いやりが。そう! 私は、こんな大切な物がすぐ身近にあったことに、今まで全く気付かなかったんだ!」
 そこまで話すと、リザは嗚咽し始めた。私は彼女の手を握り締めながら語り続けた。
「でも、自分の農地を持って耕すことはやめておくよ。今私たちに何が与えられようとも、すぐに全て失ってしまうことになるだろうからね。そして、この禊こそが今の私にできる唯一のことなんだ……」
この時私は既に知っていたのだ。賭博というものに取り付かれた者が辿る運命とは、どういったものなのか。そしてその魔性ともいえる魅力に一度なりとも捕われれば、何人も堕落し破滅するということを。

次へ

戻る