私はアーニャに尋ねた。
「それなら、お前はどうしてドゥエルと一緒になんかなったんだ?」
アーニャが続けた。
「彼が居る間は良かったわ。でも彼が軍に戻りしばらくすると、親父がやって来たの。私から金をせびり取る為にね……。そして、巻き上げれるだけの金を巻き上げ全てバクチで使い果たすと、親父は私をまた地獄の家に連れ戻したわ。そしてあたいは、すぐにピャチゴルスクへ無理やり連れて行かれ、客を取らされた」
「あの男はあたいが体を売って稼いだ金を一文残らずバクチで使い果たし、それからしばらくしてから、酔っ払って馬車にはねられて死んだわ」
アーニャはそこまで話すと立ち上がり、グラスにウオッカを注ぐと半分近くまで飲んだ。 私は、アーニャに尋ねた。
「ドゥエルとは、どこで知り合ったんだね?」
「あの男はピャチゴルスクで、あたいの客だった。あの頃は優しくて、来るたびにいろいろと私の話を聞いてくれたわ。そのうちにあたいも、この男とならちゃんと生きていけるかもしれないと思い出した……。幸せに結婚できるのなら、この男と一緒になってもいいと思ったのよ。そして、彼についてスタヴォロポリへ行き正式に彼と結婚したの。あとはあなたが知ってのとおりだわ」
私は改めてアーニャの顔を見た、そしてこう思った。
――この、どう見ても十八くらいにしか見えない女に、何という過酷な人生の試練があったのだろう! 私はこの歳まで生きてきて、苦労と名の付く物は殆ど経験してこなかった――
アーニャが言った。
「最初はね、あたいもいい奥さんになろうと努力したわ。でもすぐに、それが無駄なことだということに気が付いたのよ」
私はアーニャに言った。
「どうしてだ? お前たち一家は、何不自由無く暮らしていたじゃないか? それに、ドゥエルは良く気がつくし面倒見の良い男だ。お前と一緒になってからは一切遊びもせずに、真面目にやっているじゃないか!」
アーニャは悲しそうな声で呟いた。
「昨夜もあなたには話したわ。なぜだかわからない! でもあたいは……。あたいが居て世話を焼かないと無茶苦茶になりそうな男でないと、一緒に暮らしていけないんだよ!」
私は言った。
「アーニャ、一つ聞こう! ではこの私も、お前が居ないと破滅する、そんな男だというのかね?」
アーニャが笑いながら言った。
「その通りさ! 危なくって、見てられやしない。だから、あたいはあんたを選んだのさ! そんなあんたが好きなんだよ」
重ね合わされたその唇は、かすかに苦く塩の味がした。私はあどけなさが残る若い女が、それまで生きてきて遭遇した苦難の大きさを知り愕然とした。私はアーニャの肩を抱きながら言った。
「お前は親分肌なんだよ。だから自分で何もかも取り仕切らないと、気がすまないのさ。でも女というものは、そもそも男に仕えて家庭を守り、そして幸せを築いていくものなんだ」
アーニャが言った。
「じゃあ、あたいの母はどうなるのさ? あんなろくでもない男の面倒を二十年以上見続けてきたんだよ。今でも覚えているさ! あの男の機嫌が良いのはバクチに勝って帰ってきた晩だけで、負けた時はそりゃ酷いものだった……」
「あの男は帰ってきたら、真っ先に金をせびった。金が無いとわかるとあたいたちに容赦なく手を出した。そんな男に仕えて、何が幸せなもんか!」
「それでも母は文句一つ言わずに、辛抱してあたいたちを女手一つで育てたのさ。確かに、あたいが売り飛ばされそうになった時は、半狂乱になって抵抗したけど……」
アーニャはそこで一息つき、残りのウオッカを飲み干した。そして言った。
「でもドゥエルと一緒になってわかったのよ。優しくはされるが、ここにあたいの居る場所は無いって……。そして思ったのよ。こんなまま年老いていくのは絶対に嫌だって。もっとも、何不自由なく暮らしてきたあんたにはわからないだろうけどさ……」
私が言った。
「それで、農場を逃げ出したってわけか?」
「そうよ、なけなしの金を持ってここネヴィンノムィスクへとやってきた。勿論、ルドルフは喜んでくれたわ。そうして、また以前のような生活をすることになったのよ。毎晩カジノに行って遊び、お呼びがかかれば彼の官舎へ招かれて彼に抱かれる、そんな毎日よ……」
彼女が上目遣いで私の目を見た。
「あたいが必要なお金は、全部彼が出してくれているのよ。だからあたいは何不自由なく、ここで遊んでいられるわ。ねぇ、彼とのこと妬いているの?」
――妬いている―― この言葉を聞いて、私は驚いた。そしてあの時確かに気づいたのだ。
――そうだ、確かに今の私はこの女の相手の軍人に嫉妬している。我ながら勝手な男だ、妻子が有りながら――
アーニャが言った。
「でもね、あたいはルドルフとずっと付き合っていく気はないわ。母がもう弱ってきているし、近いうちにまたスタヴォロポリに帰らねばならないと思っているのよ」
それから彼女は私の目をじっと見つめながら言った。
「ねぇ、イワンさん。あたい、あんたに付いてスタヴォロポリに帰ってもいい。ただし一つお願いが有るのよ……」
私は驚いた。アーニャがあっさりと帰る事を了解したからだ。
「願い? それはどんな願いなんだね?」
アーニャが言った。
「あなたには、奥さんも子供もいるわ。だから無理は言いたくないの。でも……、たまにはあたいの家に来て、あたいを抱いて欲しいの! そして、あの男の所へは絶対に戻さないで!」
私はアーニャの言葉を、苦々しい思いで聞いていた。アーニャの言うとおりにすれば、御者との約束を反故にしなければならなかったからだ。御者との約束では、たとえアーニャをスタヴォロポリに連れ戻そうとも、彼女がドゥエルの元へ戻らないならば、一エーカーの麦畑を手渡さなければならなかったからね――。
その時、私はふと時計を見た。もう午後三時を回ろうとしていた。召使のマスラクに宿を取らさねばならなかった。私は部屋にアーニャを残し、ホテルの外に出た。複雑な心境だった。
――このままスタヴォロポリに戻って、私はアーニャとの関係を続けるのか? ドゥエルにはどう話したものだろう。いやそれどころか、このままではあの御者との賭けに負けてしまうのだ。そうすれば、一エーカーという土地をくれてやらねばならないのだ――
私は歩きながら悩み続けた。
――御者との賭けに負けるわけにはいかない、さりとてアーニャをドゥエルの元へ戻すことは不可能だろう。一体、どうしたものか――
そしてふと思った。 
――そればかりか、私は昨夜の勝負で四十万ルーブルもの大金を失っているのだ。これも、なんとかせねばならない――
用を済まし私が部屋に戻ると、アーニャが言った。
「さあ!カジノへ行こうよ。もういい時間じゃない!」
私はアーニャに言った。
「お前はそれにしても、バクチが好きな女だな! 今日も行こうというのかい?」
アーニャが笑い出した。私はそれを見て言った。
「アーニャ、何がおかしい!」
アーニャが笑い転げながら言った。
「だって、おかしいじゃない! 今日、あそこに一番行きたい客はあんたの筈じゃないの」

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