ギャンブル依存症克服はストーリーを読んで!

ギャンブル依存症を題材にした小説はいろいろと有りますが、ここでは読むだけでギャンブル依存症を克服し、防止までしちゃおうって寸法です。 きっとあなたのお役に立てると思います、是非お読み下さいね!

朝の告白 その21

リザは良い妻だった、彼女が故郷のエルブルス山(注二四)の麓の実家まで帰るということも気にかかった。しかし、あの時の私にとってそんなことは些細なことだった。この金を元手にして勝負に勝てば、全てうまくいくと考えていたからだ。
――そうだ! 勝ちさえすれば良い。そうすれば、すぐにアーニャを連れてスタヴォロポリへも戻れるし、リザを迎えに行くことも出来るだろう! 勝てば、全てがうまくいく!  そう! 勝てば良いのだ!――
私の頭の中は完全に狂っていた。私は一つの農場が傾くくらいの金を弄ぶことが、自らの使命であると信じ込んでいた。だが……。あの時一度は、自分のやっていることと罪悪感とを天秤にかけてみたんだ。だが残念なことに、いとも容易く選んだのは堕落した方の道だったというわけさ――。

私は宿に戻るとアーニャに、受け取った百三十万ルーブルの札束を見せて言った。
「今日は、これだけの送金があった…」
アーニャが言った。
「凄い大金じゃない! どうしたのよ?」
私は言った。
「リザがトウモロコシ畑全てと、牧場の一部を手放して得た金だ」
アーニャは早速そのうちの数枚を掴み、黒パンとチーズとハム、そしてワインを手に入れて戻ってきた。私たちはここ数日、食事らしい食事を殆ど何も摂っていなかったのだ。
アーニャがワインを一口、口に含むと言った。
「おいしいわ! ワインなんか久しぶりよ」
私は言った。
「アーニャ、今日ドゥエルがやって来た……」
彼女の顔が青ざめた。彼女は急に立ち上がり、そして言った。
「あいつが来たの!? 今どこに居るのよ!? まだこの街に居るんじゃないだろうね?」
「お前を連れ戻そうと考えていたらしい。でも、無駄だと言ってもう帰らせたよ。そして、ドゥエルからいろいろと話を聞いた」
私は溜め息をつき、ポケットからリングを取り出すと、それをアーニャに見せながら言った。
「妻のリザが、実家に帰ると言って来た。私はこの上、一体何を失えば良いというんだ……」
アーニャが言った。
「そんなの、あたいだって同じことさ! こうなっちまったら、もう失う物なんかありゃしない。でも、そうね……」
それからアーニャは、寂しそうにうつむいて言った。
「あたいは、そもそも失う物さえなかったのよ」
私たちは、久々に食を満たしくつろいでいた。 私はアーニャに尋ねた。
「アーニャ、ところでこの金のことだが…。お前はどうしたら良いと思うんだ?」
アーニャは嬉しそうにはしゃぎ、叫んだ。
「決まっているじゃない! 勝負するのよ。もうそろそろ、ツキが回ってくる頃よ。これだけのお金をかけて勝負すれば、チャンスは有るわ」
アーニャは続けた。
「一儲けしたら、あんたとあたいはスタヴォロポリへ戻るのさ。そしてね……」
アーニャが私の首に腕を巻きつけながら言った。
「あたいとあんたは、一緒に暮らすのさ。あたいは、あんたの子だったら何人だって構やしない、産んでちゃんと育てるさ。そして、今度こそ幸せになるんだよ!」
私は気分が重かった。もしその金を失えば、次に私が失うのは金だけで無いことを良く知っていたからだ。私はアーニャに言った。
「もしこの金を全て失ったらどうする? また新たに金を工面するとなれば、お前も知っての通り農地を売り払うしか方法が無いんだよ。そこで小作させている農夫たちを追い出して、売るしかないということだ」 
私は続けた。
「そうなれば、何十人という家族も路頭に迷う事となるだろう……。それでも、私にこの金で勝負しろとお前は言うのかね?」
アーニャが言った。
「勝負なんか、やって見なければわからないもんさ! 勝つか負けるかわからないことに、最初から怯えていたってしょうがないよ」
アーニャが続けた。
「やってみて考えりゃいいじゃない! 負けたら負けた時のことよ」
私にも異存はなかった。そうするしか方法が無いと思っていたからだ。いや……、私はアーニャのその言葉をむしろ待っていたのかもしれない。
その夜、私たちは久しぶりにカジノに出かけた。相変わらず、カジノは人で溢れていた。よくこれだけ、賭ける事が好きな人間が多いことかと私は思った。しかし、私もそのうちの一人だったのだ。
――これがおそらく最後のチャンスなのだろう―― そう思うと、私は少し緊張した。そんなこともあって、最初は大きく賭けることができなかった。 
三回連続で勝った。しかし、勝ったとはいえ賭ける額が少ない為に、せいぜい元金の倍が精一杯だった。アーニャが苛立ちながら言った。
「大きく勝負しないと、駄目だわ。そんな小さい額を賭けて勝っても、意味無いじゃないの!」
私はそんなアーニャの言葉に圧されて大きく勝負に出たが、今度は立て続けに負け、持っていた金の半分を失った。
今まで勝負をしていて感じたのは、一度失った運はまず間違いなくその日のうちに帰って来ないということだ。まさしくその日もその状態で、最初に三回勝っただけで後は全く良いところが無く、いつしかいつも通り全ての金を失ってしまった。
私とアーニャは、途方に暮れてカジノを後にした。あの日の朝ドゥエルから百三十万ルーブルもの金を受け取り、そして一晩どころかものの二時間くらいで、私はその金を摩ってしまったのだ。
ホテルの外に出ると、雪が降り始めていた。私はアーニャと雪が積もり始めた小路を歩きながらこう考えていた。
――元はといえば、私は御者とつまらない賭けをして、こうやってネヴィンノムィスクまでやって来た。そもそも自ら賭けている者が、賭けに夢中になっている女を連れ戻せるわけなど無いのだ――
そして、それ以上取り戻そうとして賭け続けることはもはや無駄だと、そう悟ったというわけさ。あの時アーニャは言った。私にはそもそも失う物など無いと。しかしその時私は、ふと気付いたのだ。自分にはまだ失ってはならない物が残されていることに気付いたのだ――。
そう思った次の瞬間、私はある決断をして大きく息を吸い込んだ。私は自分が何者かから開放され、自由になったことを感じていた。不思議な感覚だった。あれほど多くの物を失ったにもかかわらず、なぜか体は充実感で満たされていた。今思えば、まさにあの時が私にとって、新たなる人生の始まりだったのだ。

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朝の告白 その22

私は宿に戻ると、三通の手紙を書いた。一通はリザに宛てた手紙、一通はドゥエルに宛てた手紙、そしてもう一通は、御者のヴィロンスキーに宛てた物だった。手紙を書き終えると、私はアーニャに言った。
「アーニャ、私はここに来てからずっと、お前に隠し続けて来たことがある。今夜、お前にそのことを話すことにした……」
「何なの? お互い今さら、隠すことも何も有ったもんじゃないわ! それでも何か、このあたいに隠していることでも有るっていうの?」
そう言うとアーニャは、最後の金で手に入れた黒パンを頬張りながら笑った。私は言った。
「お前をここから連れ戻すことができるか、私は賭けをしたんだ」
アーニャが驚き叫んだ。
「賭け? あたいを連れ戻せるかどうかで……! 一体、どういうことなのよ?」
私は、御者のヴィロンスキーと一エーカーの麦畑を賭けて勝負したいきさつを、全て彼女に語った。そしてこう言った。
「私はこの賭けに負けた。そればかりではない。自分の短気が原因でつまらない賭けをし続けて家族を失い、そして農場も全て失ってしまったんだ。」
アーニャは悲痛な顔で私を見つめた。そして言った。
「あんたはなんて馬鹿な人なのよ! なんで最初からそう言ってくれなかったのよ!」
そしてアーニャは私に駆け寄り、私の頬に顔をすりよせて泣いた。
「可哀想な人……。あたいたちのために、何てことに」
それからアーニャは、私の手を握り締め叫んだ!
「でも……、あなたは全てを失ってはいないわ! ねえ! あなたは明日の朝、一人でスタヴォロポリに帰るのよ。あたいを置いて帰って! 今ならば間に合うさ。農場だって残っている! 奥さんだって、きっと帰ってきてくれるわ!」 
私はアーニャに三通の手紙を見せながら言った。
「アーニャ、もう遅過ぎたんだ。私は今日やっと気付いたのさ。自分がこれからどうなろうとしているかを……。私は決断したんだ。そして三通の手紙を書いた。妻とお前の亭主と、それと御者のヴィロンスキーにね」
アーニャが驚いた顔でまくしたてた。
「じゃあ、一体どうするつもりなのよ! このままここで野垂れ死にするつもりなの? あなたがこんなことで不幸になる必要なんて、これっぽっちも有りゃしないわ! 不幸になるんだったら……、そうよ! 私一人で十分だわ!」 
私はアーニャに言った。
「アーニャ、お前はもうとうに気がついている筈さ……」
アーニャが不思議そうに尋ねた。
「一体、何に気がついているっていうのよ?」
全てのことを悟り、私は落ち着いていた。そうだった。ここまで来なければ、私はこれから自分が進んで行くべき道が見えはしなかったのだ。私は話し続けた。
「お前は気付いている筈さ。私がこのままの状態で、お前と一緒に、いや! たとえ一人でスタヴォロポリへ帰ったとしても、ゆくゆくは全ての農場を売り払い、一文無しになってしまうってことにね……」
「そうなれば、今度は私たちだけのことだけではすまされない。たくさんの人を不幸にしなければならないんだ! そうならない為に、今夜この手紙を書いたんだ」
もうアーニャは何も言わなかった。 私はアーニャを抱きしめながら言った。
「アーニャ、よく聞いてくれ。この三通の手紙を出すことで、全てが終わるんだ。私は全てを失うことになる。でも、これでいいんだよ。これからお前と私は文字通りの一文無しだ、こうするより方法は無かった……」
 私がそこまで話すと、アーニャの体が嗚咽で小刻みに震え始めた。
「私はお前と一緒に、全て最初からやり直すつもりだ。朝から畑も耕そう! 牛の乳搾りもするし、豆畑の水やりだって慣れたものさ! 昔、やらされたことがあったからね。お前と一緒に生きる為なら、何だってやって行こうと思っているんだ」
アーニャの温かい涙が幾筋も流れ、私の頬を濡らしていた。彼女はただひたすら泣き続けた。それまで耐え続けた悲しみをひたすら洗い流し、おそらくだが、あの時アーニャも心を決めたのだろう――。アーニャが小さな声でささやいた。
「あなた、一つお願いがあるの。さっきの指輪……、あたいが貰ってもいい?」
私は、ポケットからリングを取り出すと、そっと彼女の薬指に挿してやった。こうしてその時から、私たちは生涯の夫婦となった。


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朝の告白 その23

翌日、私は宿を出て馬車の駅へと向かい、朝一番の馬車で三通の手紙をスタヴォロポリへと送った。その時私は、不思議なくらい晴れ晴れとした気分だった。私はこう考えたのだ。
――これで三通の手紙は、昼過ぎくらいにはスタヴォロポリに着くに違いない。手紙が着けば、リザが、ドゥエルが、そして御者のヴィロンスキーが全てのことを知るだろう! そしてこの私は、自らの持つ全ての財産を失うのだ――
宿の前まで戻ると、アーニャが凍てついた道の上に立っていた。
「手紙を出して来たのね。」
私は頷いた。
「これでいいんだよ。全てが終わった。でも私は今、とてもすっきりとした気分なんだよ!明日の昼過ぎには迎えの馬車がやってくる。今度こそ、二人でスタヴォロポリに帰るんだ」
アーニャが尋ねた。
「帰ってから、あなたはどうするつもりなの?」
私は答えた。
「まず、リザに会わなければならない。私の農場の半分は彼女と子供たちに引き継がせる。これからどうするかは決めてはいないが、小作人と召使の面倒は当面彼女に任せることになるだろう。そして、お前の亭主と話を付けに行く。その時私は全てを話すつもりだ」
「話を付けに行く? どういう話をするつもりなの?」
「ドゥエルと、そしてお前との間のあの赤ん坊に、半分の農地を引き継いでもらうことにした。その代わり、私はお前という女房を、彼から奪い取ったということさ……。私は、これで全てを失った。私にとって、今残っているのはただお前だけさ」
私はアーニャを抱きしめた。 ずっと宿の外で待っていた彼女の頬は、氷のように冷たかった。

――こうして私は全てを失い、アーニャを連れて故郷のスタヴォロポリに戻ることになった。それは、ちょうどクリミアでのあの忌まわしい戦争が始まる、ちょうど前年の一八五三年一月六日のことだった――
「あの朝の告白以来、私たちが失うものは何一つなくなった。新たな人生が始まったのだ。賭博に溺れた者には、禊(みそぎ 注二五)が必要なのさ。あの時もしも三通の手紙を書く勇気を持たなければ、私はここにいないし……」
 それから老人は、アレクセイの顔を懐かしそうに見つめながら優しく言った
「君と再び会うこともなかっただろう」
老人はここまで語ると、ゆっくりとした仕草でグラスに手を伸ばした。アレクセイの顔が驚きで満ちている。老人が言った。
「さてアレクセイ……。君は頭の良い男だ。もう私の話そうとしていることが、おそらくわかっているだろう」
アレクセイが言った。
「いいえ、イワン・オフロフスキーさん! お続けになってください……」
老人は小さく頷いた。
「そうかね……」

老人は再び話し続けた。

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朝の告白 その24

――そして翌日の朝、召使のマスラクの乗る馬車が迎えに来た――
私たちは、久しぶりに故郷の土を踏むこととなった。降りしきる雪の中、馬車はスタヴォロポリに向けて走った。馬車がスタヴォロポリに着いたのは、夜もかなり更けてからだった。私はマスラクに命じてアーニャの部屋を準備させ、我が家のドアを開けた。
久しぶりに見る我が家は、少しも以前とは変わっていなかった。綺麗に磨かれた窓、娘のミーシャの為に新調したピアノ。その譜面台には、彼女が好んで弾いていたベートーベンのソナタ『月光』の楽譜が、開かれたままで置いてあった。そして隅に置かれた大きな鳩時計はゆっくりと時を刻んでいた。しかし、テーブルの上に置いてあるリザのお気に入りの花瓶に、花は飾られてはいなかった――。
その時奥の扉が開き、ドゥエルが現れた。
「旦那様……」
ドゥエルは私の足元に頭をこすり付けて、何度も何度も繰り返し泣き叫んだ。
「旦那様、申しわけありません! ああ! あっしのせいで、あっしのせいで……、何ということに……。こんなとんでもない、取り返しのつかないことになっちまうなんて! ああ! あっしは何と言ってお詫びすればいいのか……」
私はドゥエルに手を差し伸べて言った。
「お前に謝らなければならないのは、私の方なんだよ。そしてドゥエル! たった今から、私はお前の主人ではない。詳しい話は、後でするとしょう」
私はそう言ってドゥエルを立ち上がらせると、彼に尋ねた。
「リザはどこに居る?」
ドゥエルは私の目をじっとみつめ、肩を落としながら言った。
「旦那様、奥様は今、体調を崩されて奥の部屋でお休みでございます」
「良くないのかね?」
ドゥエルは首を横に振って答えた。
「何しろ、昨日から何もお召し上がりになりません。あっしも気をつけてはいたんですが、行き届きませんもので……。申し訳ございません」
召使はそう言うと、深々と頭を下げた。私はドゥエルに尋ねた。
「それと、私の手紙はリザの手許に届いているんだろうね?」
ドゥエルが答えた。
「はい、間違いなくお届けいたしました」
私は一階の廊下を歩き、リザの居る一番奥の部屋へと向かった。部屋の中は暗かった。ベッドに横たわっているリザは眠っているように見えた。それから私がそっと立ち去ろうとした時、か細い声がベッドの中から聞こえた。
「あなた……」
私はベッドに歩み寄り、言った。
「リザ! 起きていたのかい? 無理しなくてもいい! 明日、また来るから……」
リザが言った。 
「いいのよ……」
「あなたからの手紙を読んだわ……」
力の無い声だった。無理も無かった。私はベッドの横の椅子に座り、彼女の手を握り締めた。
「リザ、すまない……。お前には、本当に取り返しのつかないことをしてしまった」
リザが言った。
「私ね、前の手紙を書いて、あなたにリングを返したわ。でもね、本当はそうすればきっと、すぐにでも帰ってきてくれると思っていたの……」
「けれど、この手紙を読んで決心できたわ」
リザは私の書いた手紙を手に取り、溜め息をついた。私はリザの手を握り締めた。涙がとめどなく流れ落ちた。そしてリザの手に、自分の頬を押し付けながら叫んだ。
「リザ! 私を許してくれ! でも、こうするより他に方法は無かったんだ」
リザは少し微笑むと言った。
「私は知っているわ。普段あなたがどんなに苦虫を潰したような顔をしていても、本当はとても優しい人なんだってことを……。そんなあなたが選んだんだから、それが一番良い答よ。そう私は信じているわ」
そして彼女は言った。
「あなたにお願いがあるの。私たち、来週にはここを出ようと思うの。だからせめてそれまでの間、子供たちと一緒に居てあげて!」
私は泣き続けていた。堪えようとしても、涙がどんどん溢れ出た。それまで生きてきて、あれほどの悲しみに出会ったことなどなかった。私は思った。
――それにしても私は、賭けることの代償として、何と大きな物を失ってしまったのだろう――と。
リザが言った。
「今日はもう休んで来て頂戴。 あなただって、疲れているわ」
私は言った。
「リザ……、すまない。今はゆっくり休んでくれ。続きの話は明日にしよう」
そう言って私が部屋を立ち去ろうとした時、リザが優しく囁いた。
「あなた……」
「それにしても、本当にお馬鹿さんね! でも、そんなあなたが好きだったわ。愛していたの……」
リザはそう言うと、ベッドに伏せて嗚咽した。私は流れる涙を拭おうともせずに、部屋を立ち去った。

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朝の告白 その25

翌日の朝、久しぶりに空は晴れ渡った。農園の中を通ると、牛を飼う家はこぞって牛を牛舎の外に出し、日光浴をさせていた。いつ見てものどかな田園風景だった。冬とはいえ、ここスタヴォロポリはまだまだ恵まれた場所だとふと考えた。それから私は自分にとって最後となる農園を見て歩いたのさ。
飼葉(かいば:注二六)の香り、馬の蹄の音、農夫たちの質素な朝餉(あさげ:注二七)のざわめき。そして地平線へと続く白い雪に覆われた麦畑……。どれも昔からずっと見続けてきたものだった。しかしそれらの物は全て、私の前から消え失せていく運命だった。
農園の中では小作人たちが愛想を振り撒き、通りすがりに挨拶をしていった。そんな光景は見慣れたものだったが、なぜかとても懐かしく感じたものさ。それから私は早い目の朝食を済ますと、身繕いをしてアーニャの元を訪れた。彼女の部屋に入ってみて私は驚いた、彼女が自分の赤ん坊を抱いて乳をやっている最中だったからだ。アーニャは私の顔を見ると、照れくさそうに笑った。
「この子に罪は無いのさ。せめて今の間だけでもこうしてやらないとね……。それにしても、よくこれだけ飲むもんだよ! これじゃ、あいつだって、さぞ手を焼いただろうさ!」
アーニャはそういって笑った。抱かれた子は懸命に口を動かし、乳を吸い続けていた。
私はアーニャに言った。
「アーニャ、しばらくの間こうしていてくれないか? 私はいろいろと後始末が有るんだ。当分の間、ここで過ごしていてくれ」
次に私がすべきことは、ドゥエルと話をつけることだった。私は居間にドゥエルを呼ぶと椅子に座るよう勧め、テーブルを挟んで向かい合った。私は彼に話しかけた。
「ドゥエル……。覚えているかね? あの夜のことを。今になって思い出すのさ。ここに私が座り、御者のヴィロンスキーはここに座っていた。今の私には、あの時のお前の気持ちがとてもよくわかるんだ」
「私は愚かな賭けをして全てを失った。このことは事実だ。でも、それは誰の責任でもない。私はつい最近そのことに気付いたんだよ。これは手紙にも書いたとおりだ」
召使は、ただ俯いたままで私の話を聞いていた。私は続けた。
「それは、決してお前のせいではない、アーニャのせいでもない。そして、この私のせいでもない……。全て、この世に賭博という物を作った、気まぐれな神のせいなんだよ」
話を聞いていた召使の目に涙が溢れた。彼はテーブルに伏せ嗚咽し始めた。私は話し続けた。
「ドゥエル……。アーニャのことを諦めてくれないだろうか? 勿論、お前との子供はちゃんと面倒をみる様にしておく。約束するよ。私はリザを失った。そして子供たちも。だからお前がアーニャを失う気持ちは、痛いほどよくわかるんだ……」
私がここまで話し終えたところで、ドゥエルが顔を上げて言った。
「勿体なすぎるお言葉です。ご主人様……」
私は言った。
「私は、あの御者との賭けに負けた。ヴィロンスキーに一エーカーの麦畑を与えなければならない。残りの農地の半分を、お前とあの赤ん坊に譲ることにする。そしてもう半分はリザに継いでもらう。お前は今日からここの地主だ。これから農園の管理はお前とリザが一緒にうまくやっていってくれ」
召使が驚き叫んだ。
「それでは、旦那様はこれから一体どうなさるおつもりで?」
私は答えた。
「私とアーニャにとって今必要なことは、失う物を持たないことなんだよ。たとえ地主を続けていこうとしても、おそらくは農地を全て失い、多くの小作人や召使たちを不幸にするだけだ。だから、これからは何も持たず、ここに居る農夫たちと同じように汗水を流して働くことにしたのさ」
ドゥエルはテーブルに顔を押し付け頭を抱えた。そして低く呻くように言った。
「旦那様が百姓など……、それはあんまりでさぁ! あっしには、到底そんなことはできません」
私はドゥエルの手を取り、そして言った。
「ドゥエル、私の願いを聞いてくれるね?」
ドゥエルは涙で光る顔を上げて、じっと私の目をみつめた。
「旦那様……。正直に申し上げます。あの夜、あっしはあいつを連れ戻すことはできないと思っていた。いいえ、知っていたんでさ。それにもかかわらず無理を承知で、旦那様にあんなお願いをしちまったんです」
「あっしは無理を承知で、あんなお願いをしちまった。このことが原因でこんなことになったんです。ですから旦那様、悪いのは全てあっしでございます。農地を投げ出して百姓をするなど、どうぞおやめくださいまし……」
私は静かに言った。
「ドゥエル、もう私の心は決まっているのだよ。私の頼みを聞いてくれるね?」
ドゥエルが泣き叫んだ。
「旦那様……、あなたは神様のようなお方だ! このご恩は一生忘れません」
こうして、帰郷してすべきことが一つ終った。

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